第1回 WHO方式がん疼痛治療法策定メンバー 武田文和先生

対談担当者:鈴木 勉(一般社団法人 医薬品適正使用・乱用防止推進会議代表理事)

武田文和先生のご略歴

埼玉医科大学客員教授(1998年~2003年)
1957年群馬大学医学部卒業。日本でがん疼痛治療を推進した第一人者。WHO専門家諮問部委員。世界約25ヵ国の専門家が4年間審議し1986年に発表した『WHO方式がん疼痛治療法』の作成メンバーのひとり。1998年埼玉県立がんセンター総長を定年退職。2000年に日本麻酔学会社会賞、2007年瑞寶小綬賞を受賞。訳書に『がんの痛みからの解放—WHO方式がん疼痛治療法』、『トワイクロス先生の緩和ケア処方薬:薬効・薬理と薬の使い方』、著書に『やさしいがんの痛みの自己管理』ほか多数。ブログ:「がんの痛みの治療

一般社団法人 医薬品適正使用・乱用防止推進会議は2017年月にオピオイド鎮痛薬や鎮静催眠薬のような規制薬物の適正使用の推進、同時に乱用防止を推進するために設立されました。その活動の一環として、この分野のオピニオン・リーダーの方からご意見をお伺いして、法人活動に反映するだけでなく、多くの方々に医薬品の適正使用や乱用防止の状況をご理解いただければと思い『シリーズ:オピニオン・リーダーとの「対談」』のコーナーを設けました。そして、記念すべき第1回の対談は世界、そして日本のがん疼痛治療の開拓者である武田文和先生にお願い致しました。

~Question1~
鈴木)
WHO方式がん疼痛治療法の公表から30年が経ち、今どのような思いでしょうか?

WHO方式がん疼痛治療法の策定まで
武田)
がん患者の痛みの薬による治療には20世紀末が近づくにつれ、我が国でも驚きや関心が広がり、徐々に実践されるようになりなしたが、未だ不十分と感じています。20世紀末からオピオイド鎮痛薬の医療目的の年間消費量は増え始めましたが、がん死亡者数に比べて未だ少ない消費量でした。
痛みに苦しんでいるがん患者は、先進国だけでなく発展途上国にも多いので、WHO 本部の対がん部門のチーフ・スタッフが先進国、発展途上国の双方で実施できるがん疼痛治療を普及しようと、1982年に各国の専門家を集めて議論させ、全世界のどの国、どの地域でも実施可能な薬によるがん患者の痛みの治療法の策定を指示し、専門家達は先ず治療指針暫定案をまとめました。当時の世界の5か国でのWHOによる調査では、日本の除痛率38%(そのほとんどが非薬物療法よる除痛)が最良であったほど、多くの国の治療成績は貧弱でした。
次いで4年間の国際討議を経てWHO方式がん疼痛治療法が公表されました。それまでの多くの国、とくに発展途上国では、痛み治療用のモルヒネが入手できず、多くのがん患者が痛みに苦しみながら死に至っていたという実情であり、中核となるモルヒネ製剤の導入が法律によって妨げられていました。
日本の医師の中にもモルヒネ嫌いが根強くあり、痛みから解放されないまま死を迎えているがん患者が今でも皆無になっていないので、WHO方式治療法のさらなる広報を行い、医師、看護師、薬剤師の全員が薬による痛み治療を重視し、患者とその家族にも前向きにそれを受け入れ、痛みから解放された療養生活を送れるよう啓発していかねばなりません。これには医師、薬剤師、看護師、これらの教育に携わる人々、その管理指導にあたる医療機関の管理職が、がん疼痛治療への取り組みの強化をガバナンスとして取り上げるべきです。

WHO方式がん疼痛治療法の日本への導入
日本での医師の勉強会で、WHO方式治療法を初めて紹介したとき、参加者から「がんの痛みがモルヒネの経口投与で消えるとは本当なのか?」との疑問の声が戻ってきました。それまでの日本での臨床対応は、今では非推奨のぺチジンの反復注射であったし、内科医は薬が効かない痛みと言っては神経ブロックなどを麻酔医に依頼しており、製薬業界はモルヒネの新製剤導入に関心を示さなかったのですが、日本でのWHO方式治療法への最初の反応はマスコミからで、WHO方式治療法が日本での試行で好成績(除痛率97%)とWHOが公表したとのAP電が大型報道機関に伝えられたのです。私は、全国の患者家族からの問い合わせへの対応に忙殺されました。
WHOの勧告に従い、厚生省(当時)に末期ケアの在り方検討会が立ち上げられ、新しい分野として末期患者のケア実践を検討し、報告書がまとまり、それに応えて麻薬取締法の大幅改訂があり、国全体の医療用モルヒネの年間消費量が年々増加し、硫酸モルヒネ徐放錠の導入は医療界と製薬業界に大きな衝撃を与え、他のオピオイド製剤の導入をも刺激し、国主催の医療関係者対象の講習会も各地で開催されました。

今後の課題
このような施策が実施されても、未だにすべてのがん患者の痛みが除去される日本に至ってはいません。国際麻薬統制委員会による各国の医療用麻薬消費量が、各国のがん疼痛治療の水準を反映する重要な指標ですが、人口比からみた日本のモルヒネ、オキシコドン、フェンタニルの年間消費量は、アメリカの1/50、ドイツの1/20程度で、がん患者数からみても、痛みに適切な量のオピオイド鎮痛薬が使われていないがん患者群が存在していると推察されます。医療側と患者側への啓発をいっそう強化していく余地が残されています。その背景には医療担当者の学び不足があると推察されます。

~ Question2 ~
鈴木)
WHO方式がん疼痛治療法は鎮痛薬、特にオピオイド鎮痛薬(医療用麻薬)が大きな役割を果たしますので、現在のオピオイド鎮痛薬の使用状況をどのようにお考えでしょうか?
武田)
1970年代までの日本の医療用モルヒネ年間消費量は、10Kgを満たさない状況が続いていましたが、徐放性モルヒネ製剤が導入された1990年代に急速に増加し、増加は今も続いています。現在はモルヒネよりもオキシコドンの消費量が増えています。これは製剤の特徴と製薬会社の熱心な情報提供によると思われますが、オキシコドを使い始めた医師がフェンタニルの経皮投与にも関心を持ち、モルヒネやオキシコドンについての知識と混同して使う傾向があるようで、正しく学んでフェンタニル貼付剤を使ってほしいと思います。

~ Question3 ~
鈴木)
医療用麻薬(オピオイド鎮痛薬)に対する誤解や偏見はどの程度払拭されたとお考えでしょうか?
武田)
かなり払拭されてきたと思います。まだ残っているとすれば、その背景には、1990年代前半までの医学生用の薬理学教科書に「モルヒネの反復投与は身体的依存や精神的依存を生じる」と書いてあったことが、未だに記憶から消えていないのでしょう。最近まで、当直医がモルヒネを患者に投与すると、翌朝、教授に叱られたとの逸話がありましたし、また麻薬使用の管理者である薬剤師は、モルヒネ錠1錠が紛失しても大騒ぎをしました。モルヒネの処方を続けていると、依存の臨床症状がない患者についても麻薬管理者に麻薬中毒者との診断書を書くよう医師は強要されました。そう言う経験のある医師にとっては、WHO方式治療法の実践に抵抗感があるのでしょうが、新しい知識に入れ替える必要があります。また、その実践の円滑化を病院長が指揮して是正すべきで、がん疼痛撲滅運動の旗を振らないと実践が院内のすべての各職種にまで広がりません。私は病院を訪れるとき必ず病院長室に立ち寄り、旗振りをお願いしています。その翌年のモルヒネ年間消費量が50%増になった病院もあったと聞いています。

~ Question4 ~
鈴木)
医療用麻薬に対する抵抗があるので、オピオイド鎮痛薬という用語を用いるのは如何でしょうか?
武田)
麻薬と呼ばれていたのが、オピオイドと呼ばれるようになった頃、麻薬規制も改正され、それから四半世紀間が過ぎ、「麻薬」ではなく、「オピオイド鎮痛薬」が定着してきたと思います。年長の職員が「麻薬」という呼び方を使うようですが、多くの医療者がオピオイ鎮痛薬との呼び方に慣れてきているので、「麻薬」という呼び方をする人は近い将来いなくなると思います。

~ Question5 ~
鈴木)
痛い時に痛いと言えるようになってきているのでしょうか?
武田)
痛みのある患者は「痛い」と、ほぼ必ず言うようですが、強いとか、弱いとは初めから伝えてはいないようです。故に、医師が強い痛みか、弱い痛みかと問診し、少なくとも痛みの強さの程度を把握する問診をすべきです。ある病院に私が入院中に、隣のベッドの患者さんが下肢上部の動脈の狭窄のようで、下肢の痛みを訴え、医師が非オピオイド鎮痛薬を処方したようでした。少しは効いたようでしたが、まだ痛いらしい声がカーテン越しに聞こえてきました。医師が次の回診時に「痛みはどうでしょうか?」と質問をしたら、患者が「まあまあです」と答えたので、処方の強化が行われませんでした。主治医は少なくとも、「昨日と比べて痛みはどう?」とか、「痛みは薬で消えましたか?」と聞くべきでした。そうすれば痛みが消える処方に行き着いたでしょう。

~ Question6 ~
鈴木)
一般社団法人 医薬品適正使用・乱用防止推進会議に対する期待やご希望をお願いいたします。
武田)
少なくとも、以下をお願いしようと思います。
●患者に痛みの程度を、問診するときの言葉の使い方。定型的な教科書的なペインスケールだけ使うのではなく、日常言語でのやり取りのなかで行うのです。それはどの診療科の医師にも可能なことでしょう。
●さまざまな鎮痛薬がありますが、それらの鎮痛効力の強さと切り替え方をしっかりと知り、どの薬が基本薬か、その代替薬で優れものはどれかなどを主治医や薬剤師は知っているべきです。日本への導入が遅れたので、新薬と思いがちの薬が、実は海外での使用経験が長い期間にわたってあったものがありますし、投与にあたり注意すべき点が多い新導入薬もあります。
例えば、
●先進国で長い間使用してきたメサドン。
●多くの国で使用経験期間未だ短いフェンタニル口腔粘膜吸収剤など。
●鎮痛効果の聞き方、とくに会話中での聴き方の実際など。
●各医療機関の管理者(病院長)が医療職へのアプローチを怠らず、病院のがん患者がすべて痛みから解放される方針での指導管理するよう働きかけること。
(原稿作成:平成29年12月23日)

第1回目の『シリーズ:オピニオン・リーダーとの「対談」』では武田文和先生に「WHO方式がん疼痛治療法」の策定から30年経過した現在の思いや今後の展望、さらに当法人への期待などをお話しいただきました。本企画に賛同いただき、ご協力いただきました武田文和先生に感謝申し上げます。
2018年1月25日 鈴木 勉

鈴木勉(すずきつとむ)プロフィール
◆1979年星薬科大学大学院博士課程修了、同大学助手、講師、助教授を経て、1999年教授、2015 年特任教授・名誉教授
1984-86年ミネソタ大学医学部および米国国立薬物乱用研究所研究員
2002年WHO薬物依存専門委員会委員、2013年厚労省薬事・食品衛生審議会指定薬物部会長、2015年麻薬・覚せい剤乱用防止センター理事等
日本薬理学会理事、日本アルコール薬物医学会理事長、日本緩和医療薬学会理事長等歴任
現職:星薬科大学特任教授・名誉教授